思いを力に- エピソード

ベトナム戦争から学ふ不登校の子どもへの関わり

くるみの学校 代表 栗原光弘

私は退職するまでの10年間、定時制高校に勤務しましたが、お子さんが家に帰ってこなくても、学校に行かなくても、まったく感心を示さない親御さんもいました。なかには、娘さんが妊娠しても、安易に出産を勧める母親には驚きました。

また、彼氏が、彼女が妊娠をすると最初は「生んでも良いよ。何とかする。」などと言いますが、出産間近になると逃げたり、その保護者に連絡しても、知らぬ存ぜぬを繰り返すばかり・・・などの現実を見てきました。 定時制高校には不登校を経験した生徒がかなりいますが、中学校時代、不登校だったことはまったく感じさせずに学校生活を楽しんでいる生徒も多いのです。私の経験から不登校になっている子どもたちへの関わりについて、書かせて頂きます。

不登校になると子どもは、本人は学校に行きたくても、体が言うことをききません。

実際に、体に悪いところがなくても、頭痛や胃痛、吐き気が起き、発熱する場合もあります。 これらの状態は、心・・つまり脳が、体と心を休ませるための防衛反応として、起きているのです。風邪で肺炎を起こし、苦しそうにしていたら、子どもをむりやり起こし、学校に行かせることはとても危険です。普段は元気でも、朝になると学校に行けない子どもの姿を見ると親は最初、「なぜなの?」という疑問を持ちます。そして、学力の遅れ、進学、就職など様々なことを考え、混乱していきます。ほとんどの方は、自分に不登校の経験がないので、不安になります。

自分の子どもが不登校になるまで、数多くの不登校児を見てきた私でさえも、不安になりました。それは当然のことです。親は「学校に行けないという事」を受け入れることができないのです。そして、時には子どもをむりやり起こし、学校に連れて行くということをします。でも、不登校になった子どもは学校に行くことがとても苦痛になります。

なぜなら、子どもの脳は、体や心を休ませようとしているからです。子どもが大嫌いになっている食べ物を、栄養があるからと思い、親がむりやり子どもに食べさせれば、消化不良になるどころか、体に良くない物を食べさせているのと同じになるのです。

このことは、私の三男が不登校になったので、親としての経験として、言えることなのかもしれません。

数年前、スカパーのディスカバリーチャンネルで、ベトナム戦争についてのドキュメント番組が放送されていました。

アメリカ軍は、負傷した兵士を救出すると直ちに輸血やリンゲルを補液したのです。

そうすると兵士は負傷した部分から大量に出血したり、ショック状態を起こし、死亡していきました。

人間には大きな傷を負うと、ショック状態から脳内麻薬が放出され、痛みが軽減されます。

そして、意識が低下し、心拍数が落ち、負傷した部分からの出血を少なくすという機能があるのです。 生命活動を抑えているところに、急激な輸血、補液をしてはならないのです。 アメリカの警察官は銃で撃たれた場合は、まず心拍数を下げることが重要であると教えられるそうです。

親が不安のあまり、子どもを学校に行かせることを強いるのは、不適切な対応なのです。 しかし、多くの親にとって、このような事を相談できる人は少ないですし、また、教員も対応できない人が多いことは確かです。

三男が不登校になったとき、私は学校に行けとはほとんど言いませんでしたが、ひきこもっていた2年間、「この子はどうなるんだろ?」と思っていました。 今、思い起こせば、不登校になったとき、三男はよく寝ていました。 午前中は起きられない状態でした。 家内も教員ですが、その時の対応は私より、落ち着きはらい、「なるようにしかならない・・・。」と言っていました。 女性の方が、やはり、度胸がすわっているなと感じたものです。

その後、2年間の眠りからさめ、旧大検を受け、短大に入りました。

しかし、昨年の3月卒業するはずが、留年、半期遅れの9月に卒業しました。

就職予定の会社に謝罪に行った時の態度が評価されたらしく、10月採用になりました。

毎日、営業職として午後11時から0時過ぎに帰ってくる三男を見て、「大丈夫かな?」」と思いは常にあります。 しかし、我々、親は子どもの身代わりになることはできません。

不登校という眠りから覚め、社会に出て行くのは、本人しかできないのです。

親は子どもの背中を支え、少しだけ押してやることしかできません。

「あせらない、くらべない、あきらめない。」という事です。

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