思いを力に- エピソード

「不登校と言う言葉」

あせらない、くらべない、あきらめない。そして寄り添うことを忘れない。

くるみの学校のスローガンです。学校に行かなくなった理由は千差万別。第三者が踏み込むことのできないものばかりです。

「人生は障害物競走を楽しむようなもの。障害物のない徒競走のどこが面白い」という言葉をある方からお聞きしました。

不登校というのが障害物であるとお考えになるなら、本人が乗り越えるのを見守りましょう。

時間と空間を共有することが大切だと思います。

くるみが固い殻を割って芽吹くように、いずれ本人も気づき、乗り越えます。 ***************************************************************

登校拒否から不登校という言葉になってだいぶ経ちますが、この言葉には抵抗感があります。

それは、自分の子どもが不登校になったから、いっそう強いのかもしれません。

前の日記にも書きましたが、不登校になっている人が「世の中が悪いから不登校になった。」というのは、筋違いのような気がします。

しかし、私たちは、「今の世の中・・・子どもが不登校になるのは、当たり前のような時代になっている。」という意見に対し、再度、見つめ直すべきだと思います。

ゆとり教育が学力を下げたと一部の政治家や文科省が言うと、一部のマスコミは盛んにとりあげました。

世界第何位の学力・・・そのことに意味があるのでしょうか。

どうやって学力の違いを測ることができるのでしょうか。

世界各国の共通テスト???

そんなもの言語が違う国語力をどうやって比較しているのでしょうか。

英語・・・・英語が母国語の人とどうやって比較するのでしょうか。

そもそも学力とは何でしょう。

生きる力とは何でしょうか。 思いやりや優しさ・・・ ****************************************************************

私が9年前に、進学校から定時制高校に転勤するときに生徒に書いた文章です。

先日、作曲家の團伊玖磨さんが、亡くなりました。彼はこんな言葉をのこしています。「私の心は戦前の暗かった時が、戦時中の過酷な時が、戦後の飢餓の時が、現在のいかがわしい時が流れるさまを、作曲室の窓から見て来ました。」「いかがわしい?」「そうでしょう。これほどいかがわしい時代はありません。下等な文化やごまかしが横行しているのに、だれも平気で見過ごしている。「まだ大丈夫と」と言っている間に、日本人という民族は消えてしまうのではないか。」

最近の公立学校をみていると、つくづく、団さんの言う事が実感として感じるのです。学校でも、敬語や謙譲語が日本語にあるのかと思うような言葉遣いが横行し、また食べながら歩き、階段、廊下に座り込み、お弁当まで食べています。その点では、学校間格差などありません。フリージャーナリストの桐谷エリザベスさんは、母国では、ソフトクリームの食べ歩きをしても、日本ではしないと決めているそうです。なぜなら、「初めてこの国に来たときに、外で物を食べない人々を私は美しいと思ったから。」と言われています。

この原因は、まず第一に、家庭や学校での躾がなされていないということ、そして、衛生観念が希薄であるということです。20年以上前、まだ学級崩壊という言葉がなかった頃、衛生観念のない子どもはいずれ、性のトラブルを起こすという講演を聞いたことがあります・・・。そして、今や学年崩壊という言葉さえ、耳にするようになりました。

私は今年から定時制高校に勤務になりましたが、あるベテランの先生に、「この学校の生徒は、誰もが心に傷を持っている。それを受け止めなければならない。」と言われた時に、目が覚める思いがしました。朝早くから働き、定時制で勉強し、部活動にも参加し、深夜に帰宅するといったスペイン語やポルトガル語を母国語とする生徒もいます。このような生徒に共通しているのは、言葉遣いです。彼らの話す日本語の心地よさです。彼らの社会人としての言葉遣いに、相手に対し、思いやりや優しさを含んだ日本語の美しさを再認識するのです。

シェークスピア研究で有名だった野口先生の入学式の言葉が、今でも忘れられません。「英語学科の君達にとって一番大切なことは、英語を通して、日本語の美しさを学ぶことである。」

3年間という短い時間でしたが、K高校での経験は、私の教育観にいろんな意味で影響を与えてくれました。そして、それは定時制高校勤務という道を選ぶきっかけとなりました。

現代の日本の教育は、この5年で激変しています。それは、決して良い方向に向かっているとは、私は思いません。文化や人の価値観、社会正義を作るのは教育です。

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こんな「いかがわしい時代の日本」に、今必要なのは、使命感を持った若い教員です。こんなに難しく、そしてこんな楽しい職業にぜひ「チャレンジ」して下さい。 追伸  しかし、「いかがわしい時代」とは・・・・・、でも、大事な事は「希望を捨てない。」ということです。

次の英文は、なにもかも失ってしまったスカレーット・オハラが、自分が本当に愛していたのは、Ashley ではなく、Rhettであることに気づく、映画の最後のシーンです。 "I'll go home and I'll think of some way to get him back. After all, tomorrow is another day!" from the movie "Gone with the wind" in 1939.                      2001年4月 記

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