思いを力に- エピソード

くるみの学校設立の原点

いじめ、ニホンザル・マカカフスカタ、神戸、そして出会い

一見、関係のないようなこれらの言葉は私の心の中で結びついているのです。 95年11月1日、『人権からみた防災対策』という神奈川国際人権プレ集会が厚木で開かれ、参加しました。その中で障害者問題を考える兵庫県連絡会議の斎藤晴久さんが『震災とまちづくり~復興計画と当事者参加』という題で講演されたのです。 斎藤さんは筋肉の緊張が強いため、言葉を発する事がかなり困難な様子でしたが、40分間にわたる講演に私はとても感動しました。そこで感じたことは、話そうとする人の意志と聞こうとする人の意志があれば、たとえ言葉が理解できなくてもお互いの意志が通じるという事です。

そして最後に被災地障害センターが制作している『がんばる心はつぶれへん』というチャリティーTシャツの紹介がありました。

その説明書の中に『人は誰でも老人という障害者になる』と好きな詩人が教えてくれた。それなら私もすぐに障害者になる……。

より小さなもの、より弱きものに目を向けるべきだとも書いてありました。

私がうれしかったのは、この話をしたところ、たくさんの生徒がこのTシャツやバンダナを購入してくれた事です。そして送られてさたTシャツの中には次のようなパンフレットがはいっていたのです。

1952年、宮崎県日南海岸の幸島でサツマイモの餌づけがはじまりました。サル達はとても喜びましたが、イモについた砂は苦手なようでした。

そしてある日、生後18カ月の『イモ』という名の雌ザルが海で洗うことを発見しました。すぐに母親に教え、また彼女の遊び友達も海水で洗いはじめました。その後、子どもから学ぼうとした親ザルだけが砂のついていないイモを食べることができるようになりました。

しかし、子どもから学ぼうとしない親ザル達は依然として砂のついたサツマイモを食べつづけていたのです。

ところが6年後の秋、朝日の昇った時、99匹日のサルが洗うことを知ったのです。 そしてその日の昼、ついに100匹目のサルが洗い始めたとき、突然すべてのサルが浅瀬に行き、サツマイモを洗い始めたのです。そしてこの行為は他の島のサルにも、海をこえた大分県高崎山のサルにも自然発生的に伝わったのです。

ニホンザル・マカカフスカタに起こったこの事実はある特定の臨界点を満たすだけの人々が、ある自覚に到達すると、その新しい自覚は人の心から人の心に伝わるのだということを裏付けているのだと書いてあったのです。

阪神大震災のボランティア活動はまさにこのような意識から生じたのではないかと思うのです。人々の何かをしなければいけないという思いが、心から心に伝わり、人々を災害地に向かわせ、救援物資や義援金を送ることができたのです。

そこでは人の本性は生まれながら悪ではなく、善であるという事を体験することがでさたのです。

我々が抱える『イジメ』という問題が一向に無くならないのは、まさにこの意識の問題ではないかと思います。

どれだけの教員が、親が、子どもがイジメについて、常日頃、問題意識を持ち続けているのでしょうか。これだけ社会問題化していても、悲劇を繰り返すのは、はとんどの人々が自分には関係のない事だと思っているのです。考えるのはその時のはんの一瞬だけなのです。

このマカカフスカタの話が本当ならば、教員や親が子どもにイジメが良くないという当たりまえの事を語りかけ、意識させる事ができれば、そしてその数が一定以上に達すれば、その思いは人の心から心に伝わるはずです。

私は神戸でたった2時間前に知り合った人ともう何カ月も前から一緒に活動していたような気がする不思議な経験をしました。そして彼等とは無二の親友になったのです。

たった4泊5日しかいなかったのに本当に不思議です。 全国に帰っていったボランティア達とはその後も交流があり、年末には長野八方で再会しスキーを楽しみました。また北海道へも足を伸ばし、新たな人々との出会いも次から次へと増えています。 不惑の年が私の新たな出発点となったようです。                         1996年 記

上記の文は私が南富良野に来る縁をつくってくれた阪神淡路大震災ボランティアで作った文集に寄稿した物です。

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